カーネーション
海外発祥

【アメリカ発祥】亡き母を追悼するために始まった母の日

母の日の誕生

母の日の起源は、アメリカのアンナ・ジャービスという女性にさかのぼります。アンナ・ジャービスは、母親のアン・リーヴス・ジャービスを深く敬愛していました。アン・リーヴス・ジャービスは、地域の衛生改善や母親の支援活動に尽力した人物でした。1905年、アンが亡くなった際、アンナは母の功績を称え、母親への感謝の気持ちを広める日を作ろうと決心したのです。

アンナの強い思いと努力によって、1907年に最初の「母の日」のプライベートな礼拝がウェストバージニア州のアンドリュース・メソジスト教会で行われました。翌年の1908年5月10日には、同教会で最初の公式な「母の日」の礼拝が開催されました。この礼拝には500本の白いカーネーションが用意され、アンナの願いが形となったのです。

最初の礼拝と白いカーネーションの由来

白いカーネーションが「母の日」のシンボルとなったのは、この最初の礼拝に由来します。アンナ・ジャービスは、母親が白いカーネーションを好んでいたことから、この花を選びました。白いカーネーションは純粋な愛と尊敬を象徴しており、母親への感謝の気持ちを表すのにふさわしい花とされました。その後、母の日が普及するにつれて、赤いカーネーションが生きている母親に、白いカーネーションが亡くなった母親に贈られるようになりました。

母の日が公式に制定されるまで

アンナ・ジャービスの母の日運動は、次第に多くの支持を得るようになりました。彼女は手紙や講演を通じて、母の日の意義を訴え続けます。その結果、1914年5月9日、ウッドロウ・ウィルソン大統領が5月の第2日曜日を「母の日」として正式に国民の祝日とすることを宣言しました。これにより、母の日はアメリカ全土で広く認識され、祝われるようになりました。

商業化への反発とアンナ・ジャービスの葛藤

しかし、母の日が広まるにつれて商業化が進みました。花屋やカード会社が母の日をビジネスチャンスと捉え、大規模なプロモーションを展開するようになったのです。アンナ・ジャービスはこの状況に憤りを感じました。彼女にとって、母の日は純粋に母親への感謝と尊敬を示す日であるべきでしたが、商業的な要素が強まることでその本来の意義が薄れてしまうことを危惧しました。

アンナは商業化に反対し、裁判を起こすなどして対抗します。しかし、商業的な力に打ち勝つことはできず、母の日は次第に大規模な商業イベントとして定着していきました。それでも、アンナの提唱した母の日の理念は、多くの人々に受け継がれ続けています。

現代における母の日の意義

現代の母の日は、花やカード、ギフトを贈ることが一般的です。商業的な要素は強いものの、母親への感謝の気持ちを表す大切な日として、多くの家庭で祝われています。アンナ・ジャービスの思いは、今でも母の日を通じて多くの人々に伝わっています。母の日は、単なる贈り物の機会ではなく、母親への深い感謝と尊敬を表す日としての意義を持ち続けているのです。

アンナ・ジャービスの尽力によって誕生した母の日は、今や世界中で祝われる重要な記念日となっています。商業化の波にもかかわらず、その根底にある母親への感謝の気持ちは変わることなく受け継がれています。母の日の歴史を振り返ることで、私たちは改めて母親への感謝の気持ちを深めることができるでしょう。

おすすめ